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【ベッカー型筋ジストロフィー闘病記録:3】筋ジストロフィーの治療と病気との向き合い(中学校編)

ベッカー型筋ジストロフィーの闘病記録(小学校編)を書いたので、続編として中学校の頃の話を書きました。

病気のいち当事者がどのような体験をしてきたのか興味がある方は読んでいただけると嬉しいです。

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前回の記事

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テストって楽しい!アウトドアからインドアへ

小学校では、活発で外に出て遊ぶことが大好きだった私ですが、中学校に入ると、徐々に変化していきます。

中学校に入ると、みんな成長期で体が成長し、身体能力に大きく差がついてきます。これまでスポーツをしてきた子は、やはりスポーツ体型に、勉強が得意なやつはモヤシ街道を突き進むという具合。

私は、小学校の頃は勉強らしい勉強をしたことがないアホでそのまま地元の公立中学に進学しました。

しかし、スポーツができるわけでもなく、かといって、そこまで異性と遊ぶわけでもない。スポーツできない、モテない、勉強もたいしてできないとくると、ほんとに何も取り柄のないただのカスになってしまいそうだったので、心の奥底の焦りを感じるようになって、徐々に勉強をするようになりました。

徐々に将来の進学のことを考えはじめる時期で、勉強も大切になってきます。そして、もう一つ、勉強をするようになった理由が、テストです。テストで良い点を取ると、答案を先に返却してもらえたりするんですね。単純に高得点を取ると優越感に浸れるわけですw

いやらしい話ですが、小学校からスポーツでも、勉強でも評価されないのに、勉強なら、授業を真面目に聞いていれば、点数を取れるようになっているので、自然とテストは楽しいんや!と思うようになっていました。学校の成績は、最初のテストからクラスで3〜4番くらい。学年全体でも20〜30番くらいでした。

このまま勉強やって、良い高校に進学して、良い大学へいって、良い会社に入って…。そうやって生きて行くんだろうなーと、なんの根拠もないままに考えていました。身体能力に劣る自分は、違うところで勝負していかないと勝てないと感じていたので、具体的なプランはなかったものの、勉強することが、自分の将来のためになると思って疑いませんでした。

モテる野郎に勝つために、塾に通いはじめる

しかし、たかだか地方の公立中学のクラスで3~4番程度の成績で通用するほど、世の中は甘くありません。上には上がいて、賢いやつはもちろんですが、世の中には、賢くいだけでなく、スポーツもできてモテるという野郎がいます。ほんと、世の中は不公平にできています。

そして、学校にもそんな野郎がいました。毎回テストでそこそこ良い点を取るものの、どうしても勉強で勝てない子がいました。その子は、勉強もできる、スポーツもそこそこできる、そして、モテる。そう、モテるやつだったのです。モテるんです。繰り返しますが、モテるんですw 何やっても勝てないしなんで!?と初めて、自分と人の能力を比べて悔しいと感じました。

私はかなりの負けず嫌いなので、せめて勉強では勝たないと自分のプライドが許さないと思い、塾に通い始めることになりました。

最初に、全国的にどの程度の学力かを確かめるために、塾内での学力試験を受けました。すると、偏差値でいうと40後半。学校内では成績が良くても、世間で見るとごく平凡な成績でこのままでは行きたい学校にも行けないんですね。

しかも、自分の場合は、筋ジスという体力的なハンデがありました。せめて勉強に関してだけは、普通じゃイカン。自分は世の中を渡っていけない。そう危機感を感じて、塾に通い始めました。

進学の障害となった体育教師

いくつか塾を転々として、最後にたどり着いたの は、その色んな意味で勝てなかった 友人が通っている進学塾でした。あとで知ったことですが、その勝てなかった 友人は、小学校からずっと塾に通って勉強をしていたわけで、積み重ねていた基礎の密度が違ったわけですね。小学校の頃にぷーたらしてた自分が勝てるわけもなく、基礎を着実に積み重ねることが大事なのだと知りましたw

進学を考えてどんな学校に行こうかなーと考える私は、公立高校には行きたくない理由がありました。それは、公立高校の進学は、内申点と入試で決まります。で、この内申点には、体育の評価が含まれているんですね。

成績の評価は当時10段階で、体育を除けば、8〜9ばかりでしたが、私の体育の成績は4くらいでした。学力だけを見れば、県内トップの公立高校に行ける学力なのに、体育があるせいで、2ランクくらい高校のランクを下げないといけなかったわけです。

体育なんて授業にまともに受けてすらいない不良と同じレベルの扱いですよコレ。小学校の頃から、体育の評価はこんなもんでしたが、高校の選択に関わるなら呑気なことを言ってられません。

進学の邪魔しやがってくそ教師が!!!!!

と、ここでも思いました。今でも、体育教師は大嫌いです。ともあれ、怒ったところで状況は好転するわけでもないので、体育教師を恨みつつ、最終的に、内申点の評価が必要ではない、私立に照準を合わせて勉強をすることになりました。

数学の証明問題が論理的思考の基礎になった

最後に通っていた塾は、自分から勉強する習慣をつけようなやり方をしていました。この塾が私にとって、良かったなーと思うのは、一つの問題を徹底的に考えさせるということ。

宿題で出された問題(答えは見れない状態)を、 授業で順番に答えて進めていくのですが、正しい答えを言わなければ授業が進まないんですね。みんなが問題を解けなければ、授業が一切進まないので、1つの問題を徹底的に考える癖がつきました。

中でも、自分の中で今でも影響を受けているのは、図形の証明問題です。証明問題は、図形の線の長さや角度などから、ある事象を証明するもの。私はパズルが大好きだったこともあって、図形の角度や長さなど、わずかな情報をもとに、証明していくという行為がパズルみたいで夢中で解いていました。これを塾の授業で、ひたすら繰り返していくことで、論理的に物事を考える癖がつきました。

学校の勉強は、社会に出ても役に立たないという人がたまにいますが、そんなことは全然なく、そういうのは、勉強をしてこなかった人の言い訳です。私の場合でいえば、この数学の証明問題で培った論理的に考える癖は、仕事をする上で、企画を考えるときの基礎であり、文章構成を考えるときのロジックの組み立てにも、役立っています。

興味がないことを無理にやらせるという教育に意味はありませんが、学生時代に勉強をしておくことは、決して無駄にはならいと私は思います。

起死回生で和歌山県内の進学校へ

最終的に、中学校の2年生の後半から学力はグイグイ伸びていって、和歌山県にある私立の進学校に合格しました。中学2年生の時点でE判定だった高校へ合格できたことは、自分の中で、初めての大きな成功体験でした。

また、私立は受験の時期が早くて、進学が決まった後は、体育教師に憂さ晴らしすべく、授業は完全無視、不良友達と授業中にトランプ、体育の授業は一切参加しないという最低な生徒のまま卒業しました。

たぶん、先生の間では、舐めた生徒だと思われてたと思いますw

この中学3年間の間で、勉強もスポーツもできない、そしてモテない。何も取り柄がなかった自分が、勉強による成功体験をしたことによって、少しだけ自分に自信を持てるようになりました。

つらつらと書いてきましたが、中学校時代は、勉強と、中の良かった友人とひたすらゲームをしていた記憶しかありません。

なんとも冴えない中学校時代ですが、自分の人生の中では、とても重要な3年間でした。次は暗黒の高校時代に突入します。

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人の持つ可能性が広がる瞬間を伝えていくメディアsoar(ソア)で取材いただき、これまでの体験が記事化されたので、続編はこちらをご覧ください。

パソコンやITツールを活かしたら、病気があっても仕事ができた。筋ジストロフィーとともに生きる白井祥剛さん

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