毎度、Gorian91です。
昨日、ツイッターであることに対して怒っておりました。
ことの発端となったのはこの記事。
息子さん「世界中の人々の希望になる」とは一言も言ってねーぞw
筋ジストロフィーで断念! 難病で夢を諦めた子どもへの励まし方 – Ameba News [アメーバニュース] https://t.co/GHb24VtQI2 #news @newsamebaさんから
— gorian91 (@gorian91) 2016, 2月 4
「筋ジストロフィーで断念!」て何?
何で残念賞みたいに書いてるの?
この記事、タイトルからしてひどいんですが、内容を読んでみると更にひどくて、すっげー腹が立って、1人で夜な夜な怒っておりました。
今日はそのことについてのお話。
勝手にできないと決めつけて、子供の可能性をつぶしている
デュシェンヌ型の筋ジストロフィーの子供を持つ親御さんが、子供に「もう、野球の選手なんて夢は捨てなきゃね。ぼく、何のために生まれてきたのかな?」と聞かれて、どのように答えて良いかわからないので教えてください。という質問があり、それに対して自称コラムニストが返した答えが無責任でひどいものだったんです。
なんて答えたと思います?
「難しい病気を克服して世界中の人々の希望となるために生まれてきたんだよ」と答えてあげてください。
ですって奥さん。
は?
こういう無責任なアドバイスする人って一体何なんだろうね。良いこと言った気になって満足してるんだろうけど、実際は、残酷な現実を綺麗な言葉でごまかしてるだけ。
— gorian91 (@gorian91) 2016, 2月 4
「難しい病気を克服して世界中の人々の希望となるために生まれてきた」ってあるけど、克服できないから難病なの。克服できないから生涯向き合って生きてくしかないんだよ。世界中の人々の希望になるためってなんだよ。生きるために生まれてきたんじゃないのか。無責任なアドバイスしてんじゃねーよ。
— gorian91 (@gorian91) 2016, 2月 4
「難病」というのはどういう病なのかをこの人は全く理解していない。
「克服できない病」だから「難病」なのであって、克服できないからこそ、当事者は、世の中に生きづらさを感じながらも、生涯、病気と向き合って生きていくしかないんですよ。
最も許せなかったのはこの部分で、思い切り夢を否定しちゃってます。
この記事の何が腹立つって「大好きな野球を選手としてプレーすることはできないかもしれませんが、スポーツライターとして野球への熱い思いをつづることはできます。」ってとこ。そこ否定しちゃうの??
— gorian91 (@gorian91) 2016, 2月 4
10歳という若さで野球選手になれないとひとつの夢を諦めようとしている子にむかって、「大好きな野球を選手としてプレーすることはできない」とか書いちゃってるんですよ。
スポーツライターになれだ?
何勝手にできないと決めつけちゃってるの?
車いすに乗ってたって、バットを持つことができるのなら、座ったままでも打つことはできるんじゃないの?
車いすに乗ってたって、グローブを持って守備につくことはできるよ。
バットが重すぎて持てないんだったら、プラスチックのバットでスポンジボールを打つくらいならできるかもしれないじゃん。
車いすに乗りながらできることってたくさんあるんだよ。
こういう無責任なアドバイスによって、子供の可能性を奪っていることに何故気づかない?
キレイゴトを抜かして自分に酔ってるやつを見ると吐き気がする。
「世界中の人々の希望」という名の「犠牲」
「大好きな野球の選手として活躍するという夢は叶わないかもしれませんが、その代わりに“世界中の人々の希望となる”という壮大なスケールの夢を持つことができる」ってあるけど、世界中の人々の希望になるためって何?
壮大なスケール?お前の考えなんか知るか。
生きるために生まれてきたんじゃないのか。
「世界の人々の希望」ってなんだよ。世界の人々のため「犠牲」になってねと10歳の子供に言えってこと?
無責任すぎるだろ。
仮に僕がこの子に同じ質問をされたら、きっと返す言葉を見つけることができないと思う。
境遇も違えば体も違う。僕よりも重症で、大変な境遇にいる子を励ます言葉を僕は持ち合わせていない。
ただ近くにいて、この子がやりたいことを全力でサポートするしかできないと思う。
でも、無責任なアドバイスによって子供の可能性を奪ってしまうくらいなら、ただ近くにいて、全力でサポートしてる方がまだマシだ。
だから、この親御さんには、その子の夢を決して否定せず、あらゆる可能性を模索して、やりたいことができるように全力でサポートして欲しい。
こんなキレイゴトを言う人のことなんか無視していい。
「世界の人々の希望」という名の「犠牲」になるのではなく、ただ精一杯生きて欲しいと願うばかりだ。
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